( 羌瘣 作画引用:原泰久先生 作 キングダム第629話 )
ゲフンっ。
スイマセン、昨日から熱が出て更新飛ばしそうでした。
ってゆーか、それだけじゃなくて今回は、予想とかする意味あんまり無くないかな?とか、そーゆー気持ち半分で書いていています。(笑)
キングダムは古代中国の戦国時代がストーリーの土台にあった作品。なので当然、物語の面白さの核になる部分って、その厳しい時代を生き抜いていった人物たちが、どういった知恵(戦略・戦術)と気概(思想・人生観)で戦ってきたのか?って部分を学び取っていくトコロが一番の見どころであり、楽しさだったのだと思います。
なので、このブログの趣旨としても、キングダムの史実上のネタなどは分かってしまった上で、それが各歴史的事実との間の大きな余白の中に、どの様に作品上に反映されるのか?
戦争時代を描いており、作品の中でも現実的な制限がある中で、ここからキャラクターたちがどのような機転を見いだせるのか?といった部分を予想して楽しむのが主眼だったワケなので…、
今のトコロ、戦いの場面が羌瘣の内面の“概念の中の世界”に移行してしまった現状になってから、運営者の私個人としては、あまり真面目に次の展開を予想する真剣さが、いつもほど欠けてしまっている状態だったりします。(苦笑)
とは言え、今回のキングダム…、
ヤンジャンのアプリを見ても、「こんなのファンタジー作品じゃ!」とお怒りの声もあれば、「ファンタジーでもいいやろが!」と擁護する声で読者が二分されていて、私は悲しい気持ちになったので、今回は両者の意見が両立する記事を書くことにしました。
いままで、キングダムが鄴攻めに入ってからの中盤以降は、SFみたいな局地設定になった犬戎編に限らず、朱海平原でも秦軍が兵糧無くても戦える兵士に変貌していたり、趙軍にとっても物理的にあるハズの無い部隊や地形が突然出現したり、もはや存在意義すらがカルト宗教に堕とされた龐煖だったりの部分で、あれ?キングダムっていままでこんなに作りが粗い作品だったか??
と、思わせる部分は多かったのですが、その時は「このくらい、漫画だから仕方が無いよね。」と没入感から離れて割り切るコトも出来た方も多く、なんだかんだ言って、それ以外の部分ではキングダムを楽しめたのでは無いのかなぁ。という気がします。
この点、今回の“第630話天地の間“がいままでとは大きく違うのが、まさしく構成世界そのものが完全に“概念の中”に移行してしまっている点です。【※確かに羌瘣個人に限って言えば、対幽蓮戦での魄領の域などで近い描写は既にあったが…。】これだと、流石にここからは何でもアリになっちゃいますからね…。
前回までのキングダムネタバレでも危惧してきましたが、いままでのキャラクターたちが“現実的な制限の中で死闘を繰り広げてきた”という、作品のテーマ性や本来も持ち味から大きく乖離してしまった感がどうしても拭えないのですが…、
その反面、あえて今回、前向きな方向でキングダムネタバレを進めてみるならば、他方、神(作者)が今回のようなリスクを冒してまでも、描きたかったものが何だったのか?という部分に着目して予想を進めてみると面白くなるかもしれません。
キングダムネタバレ-630話のおさらい
630話本編の詳しい考察⇒【キングダムネタバレ最新第630話 天地の間 考察】
王賁、蒙恬が飛信隊に駆け寄っていきます。
周囲の飛信隊の兵士たちの様子が、明らかにおかしいです。
「隊長…。」などとみんなで泣いて、戦意を喪失しているからです。
その様子を見て、王賁、蒙恬とも、最悪の顛末、信が死んでしまったコトを悟り始めます。
で、河了貂はじめ泣いている飛信隊の面子共の中、一人、信の蘇生を試みる羌瘣。
尾平らが泣くのがうるさいようです。
河了貂にも、無遠慮気味に『どけ。』とか言ってきています。
羌瘣は、まだ小さかった頃のむかーし、羌象と一緒にババアに聞いた、死者を蘇生させる呪語を習った内容を、記憶をたどりながら復唱してきます。
信と自分の気の道を繋げて発動させる術というコトだけが、仕組上の概略として説明されます。
そこからは、術者の羌瘣ですら把握できない未知の施術。
呪語の復唱が終わり、術の取っ掛かりと呼べばいいのか?“何か”との繋がりを確認した羌瘣は、仲間に「何か変化があったら信を呼び起こせ」と言って、現実世界の上での意識をロストさせます。
ただ、『行ってくる。』と言い残し。
ここから、羌瘣一人が空白の世界の中にただ一人立つ観念世界が描かれます。
戸惑いながらも、そこから死んだはずの幽蓮と羌象が姿を現して、術の発動の為には、術者の寿命を削る必要があるリスクが語られました。
羌瘣はあっさりと、全部寿命やるから信の蘇生を優先させることを宣言。
この観念の世界の中の幽蓮と羌象も驚いています。
彼女の宣言を聞き入れた幽蓮は、そのまま羌瘣を“天地の間”と呼ばれる謎の空間に送りこみます。
羌瘣は、そこでついに背中を向けて立っている、信と思しき人物の姿を目にします。
キングダムネタバレ-ファンタジー批判を全力フォロー
まずは、神(作者)の真意に触れる前に、今の世界観を整理してみたいと思います。
死後の世界みたいな感じになり、作品の世界観が大きく損なってしまった部分について…、
私なりに一読者として、脳内補正を加えることで、これまでのキングダム設定との繋がりが残っていないか?
今までのようなリアリズムを伴った描写へ復帰できる余地が無いのか?
これからもキングダムを楽しみたいので、受け手としての最大限の努力を試みたいと思います。
まず、羌瘣が今いる“天地の間”という世界を、読者としてどのように解釈すればいいかによって、今回の作品の受け取り方が大きく変わってきます。
例えばこれまでの様にキングダム内でも描かれてきたような意味で、上記の“魄領の域”などといった様な形で、極めて現実的な意味においての精神世界と言えると思います。
言い換えれば、心理学的な意味での深層心理の領域であるなどと仮定できれば、前回のキングダムネタバレで私自身が記載したような、「これファンタジーだろ!」といった批判も何とか免れることができるかもしれません。
ネタバレ-ファンタジーではない、これはサイココミュニケーションだ!
作中で、羌瘣本人は「気の道が繋がった。」と言及しているので、この場合は、羌瘣の求道者設定をフル活用して、疑似科学的には信と羌瘣の深層心理の相互感応…、
つまりはテレパシー状態であると仮定することは出来ないでしょうか?
テレパシーの一種といっても、全然オカルト臭が抜けていませんが、もともと羌瘣は器物である緑穂と会話するような電波ガールです。
今まで原先生の画風のお陰で、読者にイタイ奴扱いされてこなかったような部分も無いではないハズです。
なので、テレパシー状態からさらに、多少無理スジで解釈すると、今の信と羌瘣自身は、もうなんか、実体としては脳波みたいなモノで極めて静寂的な周波電位であるアルファ波みたいなモノになって…、
現実解釈すれば尾平や田永の周囲を、微弱な電波の形でフヨフヨ漂っている状態なのかもしれません。
たぶん、原始的なサイコミュです。
原先生のガ〇ダム好きだから半分くらい合ってると思う。
ネタバレ②-崇原だって完璧じゃない
信の心臓が止まってしまっているとか崇原が言っていましたが、それだと信が脳死してしまって、脳波もクソもネェだろ!というコトにもなりそうなので、この点からも、脳内補正を加えます。
恐らく下記①~③のどれか、あるいは全てでしょう。
①崇原が単に脈を測り間違えた。
②羌瘣との剣術稽古のやり過ぎで、崇原の手の感覚がマヒしていた。
③崇原が触った瞬間に信が心停止しただけで、まだ、羌瘣が術を発動するまでそれほど時間が経っていない。
クッソ!これだけ、脳内補正してやっているのに、何、幽蓮に「ククっ、あの男はもう間の世界の奥深くまで行ってしまっている。」とか言わせてんだよ!
死んでからメチャクチャ時間が経っているように聞こえるじゃねえか!!
なので、この点にも脳内補正を加える必要があります。
ネタバレ③-死亡の意味の解釈
これは単純に信の心停止の時間によって、間の世界への進んだと考えるのでは無く…、これも肉体的な死を指すワケではなく、精神的な意味で信は龐煖と戦っていたトキからトランス状態なってて、だいぶ前から現実空間をロストしていたとか、そういう解釈でいいんじゃないかと思います。
さらに加えて考えてみたら、羌象や幽蓮、真っ白な空間と、信の姿を捉えた暗闇の地の底。これは、羌瘣が内面で見た精神的投影に過ぎないでいいんじゃないかと…。
これも、非常に強いた言い方をすれば、王騎が最後を迎えたトキの、笑いかけてきてくれたキョウみたいなモノと解釈したら、悪い気はしないというか…、だから頼む! このような良い方向で解釈するためにも、頼むから死亡&生還イベントを乱発するのは辞めたほうがいいと思われる。
乱発されると、そのうちフォローの為に読者が脳内補完する余地すら無くなっていく可能性があるからだ。
ネタバレ④-編集側の目論見
合従軍編で肝明に一撃くらったトキの蒙恬ぐらいならまだ分かるよ。
でも、王賁の“打ち取られ”で物足りなかったのか?結果的に何かが原因で神(作者)とヤンジャンの編集が、ムキになってしまったのかもしれない。
あと、これもフォローとは違うかもしれないが、対堯雲軍との激突を凌いだ朱海平原戦、三日目の夜、第550話で「命を使って元気を分け与える術」があるとか言って、信と羌瘣の手を繋げる場面があった。
それを今回の630話にて、術の説明の場面にて引き合いに出していたことからも、神(作者)の中では、今回の羌瘣と信を精神世界の中で深く繋げるといった発想はカナリ以前から着想として温めていたことだったのかもしれない。
次の機会に繋げますが、恐らく神(作者)の意図としては、まさしく話の着地点として信と羌瘣の繋がりをどのように決着させるのか?
その為に、史実的にも羌瘣がどのタイミングで作品から退場するのか?などといった制約的な兼ね合いも含めて考察すると、羌瘣の寿命を半分以上全て未満として余白たっぷりに表現させる意図があるのじゃないかと予想することもできます。
“半分の寿命≦本作の羌瘣の寿命≦全ての寿命“
トコロがこの点、寿命という概念をガソリンみたいに受け渡し可能な、定量物的な残量方式のエネルギーとして表現しているのは流石に無理があります。
動物の生体エネルギーは水と食物の経口排泄と有酸素活動による活性によって、連続的なエネルギーの再生産の繰り返しで稼働しているからです。
しかしながら、今回の場合、幽蓮も死んでスグの相手といっているように、今回の被術者(信)の復活を定義的に整理すると…、
“極めて死亡確定に近い状態の瀕死というか、死んでいると言って状態なんだけど、まだ、羌瘣が言うように相手の気の通り道が若干だけれども残っていて、相手の気の通り道が残っているというコトは、厳密には被術者(信)にかろうじて“気”が残っているワケだから、ホントのところ少し生きている部分も残っているというか、それがダメならなんとか、生き残るための取っ掛かりみたいな部分が残されていると考えてもイイと言って差支えが無いというか、おそらく作者がそのように考えていると言ってもやぶさかではない状態の相手を条件に…、
脳や心臓、各種内蔵などの生存に必要な身体的器官が残ってて、それらが機能するだけ血液も残っていて、精神的な内面からチョット後押しさせて、死ぬ方向から息を吹き返す方向に、被術者(信)をあくまでも誘導する的”な術と無理筋フォロー解説すれば…。
羌瘣の寿命エネルギーが被術者(信)に託したと考えるのではなく、別の合理的解釈が成立するように考えられます。
ここでは上記のように羌瘣は上述のように自身をα波状態(脳波)にまで自我を落とし込み、それを意図的に他人である極めて微弱な脳波の被術者(信)に向かってアクセス(繋がった)するという指向性コントロールまで行っていると仮定しましょう。
この点から考察すると、ここでも恐らく羌瘣は、蚩尤族独自の呼吸方法を用いて、今回の精神アクセスを可能していると予想できます。
特殊な呼吸を使うので、通常の巫舞の呼吸状態よりも、重度の活性酸素の大量蓄積が発生し、イッキに羌瘣の細胞ダメージが進行し、代謝も低くなり身体細胞の老化損傷が大きく進むと考えられないでしょうか?
また、全身の細胞が活性喪失するならば、ガンの発生や免疫機能の停滞、あるいはそれらが原因による合併症の多発による寿命の短期化につながるのではないでしょうか?
さらに、この点から予想を進めると、上記のような肉体の劣化をさらに、常態的な巫舞の呼吸で肉体機能の維持に努めるとしたらどうなるでしょうか?
前回の呼吸のダメージを補う毎に、毎回、巫舞の呼吸のダメージが蓄積する状態が連鎖して、結果的に大きく羌瘣の寿命が削れてしまうといった事態に繋がっていくのだと考えられます。
恐らく、羌族のババアが、この様に「寿命が半分削れる」といったように表現したのも、歴代の蚩尤族の寿命比較の結果、概括的な総量で出てきた経験則なのだと予想できます。
さらに、幼少の頃から巫舞の呼吸をつかって普段から強制的に肉体強化と生体時間の加速による負荷が加わっているために、もともと蚩尤族自体が、戦士として優秀なほど短命な一族になると予想することができます。
本キングダムネタバレとしては、今回の“天地の間アクセス”による寿命の削減については、巫舞の呼吸のイレギュラー使用を切っ掛けとする、細胞ダメージの大幅蓄積と、同じくその後の巫舞による強制修復による細胞疲労、結果的にそれらが細胞分裂の制限回数に及ぶテロメア減少限界に至るコトでの死亡早期化と結論づけてみました。
うん、これならファンタジーにはならない。多分。
良くて疑似科学、逆に皮肉に聞こえるような気もするが、もうこれぐらいでいいだろう。
キングダムネタバレ-信と羌瘣の繋がり
少なくとも羌瘣は史実ベースで行くと、現作品の時点から8年後の紀元前228年で王翦、楊端和たちと趙を亡ぼすまでは生存している。
また、王翦たちと名を列しているのが李信ではなく、羌瘣であるコトも、羌瘣と信の繋がりの顛末おいて無関係ではないだろう。
今までの献身的な羌瘣の活躍で信と飛信隊は、この後の桓騎軍ロストを乗り越えて、趙国にトドメを刺す決定的な戦力までに拡大すると予想することは簡単ではある。
ただ、その反面で、羌瘣が残る8年間で命を燃やし尽くし早世するにしても、主人公 信との相思の繋がりがどうなるかについては予想が難しいトコロである。
変な話、今のキングダムを見ていると羌瘣などは軍を引退するか、それとも剣士としての戦力を放棄して、河了貂のように純粋な軍師家として転身するでも、身の安全を確保する方法があるような気がしないでもない。
しかしながら、羌瘣の寿命や健康状態に関しては、恐らく本人か同じ蚩尤族の者でなければ、客観的に把握することは難しいといった状態ではなかろうか?
彼女が活躍しては、事ある毎に「アイツは人じゃねえ。」などと形容されることが、終局的には、およそ常人の目には弱点すら弱点に見えぬという結果につながるとなりそうな下地が出来ている様に思えてきます。
あくまで予想に過ぎないが、信と羌瘣が世帯的に婿と嫁として結ばれて、一つの家庭を保持しつつ戦場を往来するという顛末も無いではないだろうが、そこまで徹底したご都合の延長で自国の天下統一まで果たして、未来に何の課題も残さずにハッピーエンドになるお話か?と聞かれれば、個人的には大きな疑問が残ります。
更に言うと、今さらキングダ作品世界の中で、他の漫画でも読めるような恋愛物語を読者が読みたいかの?今さらどこの家庭や男女でも、日常生活で処理し続けてしているような夫婦善哉が作品に合致するかと言えば更に疑問が残る。
なので、この点でも消極的ではあるが、愛はお互いが最高の気持ちの高鳴りの時点で、どちらかが死亡するコトで完成する的な結末にしかならないんじゃないかと思っている。
今の時点で信と羌瘣は生死の境すら共にするほど、深く結び付き合きつつあると言っていいでしょう。
なので、神(作者)としても今回の話で、信と羌瘣の二人が互いに誰よりも深い精神的な繋がりに達した事実が描けたことは、目論見の一つだったと言えるのかもしれない。
ただし、コレだけでは未だに羌瘣からの一方的な献身にほかならず、信から羌瘣に向けた思いは何一つ、発せられた様子がありません。
少なくとも相思にはまだ足りない。
まだ予断の方がはるかに大きいが、この先の信瘣の着地点の予想としては、今回で復活を遂げた経緯の後に、信がどの様な返報性で反応するかが第一のカギになるでしょう。
キングダムネタバレ-信本人の反応
最期に、次回になる第631話直近の予想をすると、先ずは今回のラストシーンで顔の隠れた信がどんな状態で描かれて二人のやり取りが始まるか?という点になります。
王騎の矛を使いこなし、とうとう龐煖を討ち果たし、ある意味で王騎将軍のカタキを討てたコトで、一つの宿命を乗り越えた信。
私が予想するトコロとしては、今の時点の信は、ある種の燃え尽き症候群みたいになっているんじゃないかと予想します。
もちろん、存在そのものがファンタジーになってしまった龐煖を相手にしてたので、信も死力を尽くす以外になかった。
そして、龐煖を倒すという一面に関しては、理想の将軍として追い求めていた王騎に、矛を使いこなすという意味においては追い付けたという成果を残しています。
ややもすれば、信としても「もう充分にやったさ…。」という一念が生じているかもしれません。
しかしながら、羌瘣や信を追い求める飛信隊の仲間としては、当初、信本人が語って来ていたように、彼が王騎将軍を超えて、ここから独自に新時代の大将軍の姿を見せることが終局的な目標になるワケです。
信本人にとっても、ここからは王騎の姿を追う者では無く、王騎の将軍から受けた薫陶を土台にした、新しい独自の将軍像を完成させていかなくてはなりません。
予想としては、精々、羌瘣がこのあたりの新しい目標吹き込むとか、そういった程度の話しか思いつきません。
その先は、みんなが言っているみたいに、信を復活させた羌瘣が倒れて、その羌瘣を我武が助けるとかでもなんでもいいよ。
そういえば、我武の亡骸ドコ行った? 信を囲む飛信隊の皆さんに踏んづけられているのかもしれないし。
この先、羌瘣を助ける為に、ハンドヒーリングで先ず自分の体を修復しているのかもしれない。
ダメだ、本記事の前半で、神(作者)を全力でフォローするのに力使い果たしてしまったのと、どんだけ脳内補完しても、コレ戦術とか戦略考えるとかじゃないので、真剣に予想する気が起きなかったので今日はこれくらいにしときます。
― キングダムネタバレ最新631話 予想 以上 ―
次回もこの先の展開について、キングダムネタバレ予想をすすめていきたいと思います。
皆さんの予想やコメントもいただけると嬉しいです。どうぞお気軽に。
Twitter:しんいち ダム垢(@takikomigohande)
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第630話の本編考察⇒【キングダムネタバレ最新第630話 天地の間 考察】