( 李牧さん 作画引用元 原泰久先生 作 キングダム)
いや、あの??
李牧さんに、司馬尚さん?
それに、趙国国民一同の皆々様方。。
今こそ浮かれている場合ではなく、ここで、戦争に勝利したという事実を最大限活かす努力をなさった方が良いのではないでしょうか?
まあ、一般人の国民の皆さんが喜びなさっているのは、良いのですが、、。
司馬尚『秦は中華統一を諦めるとおもうか?』
李牧さん『咸陽にいる秦王次第です。』とか…、
そこ、心構えからして違うでしょう。
何で、そんなに李牧さんが受動的な姿勢なのか分かりません。
其処は普通に考えて…、
『秦王は手を変え品を変え、何度でも中華統一の侵攻を諦めないだろう。』という前提立つのが、正しい軍略家としての姿勢となるでしょう。
李牧さんとしては、『攻めてくるなら何度でも相手になってやる。』という認識なのかもしれませんが、頼みの司馬尚も『じゃあ、しばらくの平穏を享受するか。』みたいな事いっているし、二人ともこの心構えは、趙国にとって、災厄を招く種になるんだと思うんスわ。
何故なら、次の戦争の対策は、その平穏時にこそ、最大限注意して準備を進めておいて然るべきだからです。
勿論、戦の準備だけでなしに、平時の国の運営の為に、民生・生産業を立て直すというのも立派な政治の在り方なのですが…、この点、李牧さん、少なくともキングダムに於いて言えば、彼は、軍略家であったとしても、行政官や政治家の類ではなく、内政面や朝廷に於いての調整能力はカラッキシと来た人物です。
いや??
むしろ、恐ろしいのは、軍略家としての顔以外は、実力が全然ダメなのに、何故か、戦以外の仕事についても、実力以上の御仁として評価が先走りしすぎているのが、ご本人にも趙国にも、不幸をもたらす、要因になって行かないか、非常に心配な所であります。
そして―、
一番、残念だったのが、このセリフ。。
『平穏と戦争を繰り返すしかありませんよ。人間は。。』
うーん?
これ、神(作者)様もキングダム李牧さんも、“李牧”という歴史人物に対しての役回りについて、大きく勘違いしちゃった、痛い箇所です。
何が言いたいかと申しますと、李牧は“あくまでもやりたくもない戦争を、義務感から遂行していく軍人”として描くからカッコ良いのであって、誰も彼自身に、戦争そのものの、何たるかを語る、“思想家(評論家)”としての役割を期待している訳ではないという事です。
李牧さんは、キングダムでは、最後まで、職業軍人みたいに、やむを得ずに発生した戦争に対して、軍人として自分がやるべきことに徹する風に描いてほしかたのですが、こんな中途半端な“思想”に関して、おいそれと考えを口にしない方がカッコよかったと思います。
もう少し掘り下げると、読者としては、“戦争と平和”だなんて、非常に抽象度の高い議論など、韓非子から学び、秦の国としての在り方、法治国家制度などについて、日々考えてきた秦王嬴政の様な立場の人物にこそ、“思想”や“政治手段としての戦争の在り方”を期待するのは分かるのですが…、
別に、どこまでいっても、一将軍としての仕事以外、何も期待されていない、李牧さんに、平和と戦争の何たるか等の“思想”について、意見を求めている人なんていますかね?
しかも、李牧さんが戦争を語ったところで、『戦争が無かったら活躍する場が得られないお前が語っても説得力が無い』ってダケの話でしかないですからね。
で、李牧さん?
そこから更に、『戦争を遠ざけ、平和の時を長く保つことです。』と、コレ自体は、非常に御尤もな事を言っていますが、ぶっちゃけ、それを云うなら、ココからが李牧さんの戦いは本番になる訳です。
しかし―、
先に結論を申し上げますと、李牧さん、非常によい事を自ら仰っていただいておりますが、ココから先の彼は、その“平和の時を長く保つこと。”の具体的な努力には何一つ着手することなく、無為に日々が過ごされていく事は間違いありません。
何故なら、この点でも、李牧さんは、何処まで行っても、“強い将軍”に過ぎないのであって、戦争(※それも戦闘・戦術レベル)以外の、国家戦略級の規模で実力を発揮できる政治家でも何でも無いからです。
そもそも、戦略って言葉自体が、“戦を省いていく”という意味から成立している訳ですからね。
繰り返すようですが、今回のキングダム、一番、李牧というキャラクターを描く上で、神(作者)様、結構やらかしてしまっている訳です。
李牧は、あくまでも王に仕える将軍という立場に過ぎないのに、役割を超えた、分不相応な思想家として領分で、自分語りさせちゃっている点で、コレ、かなり李牧の実力に見合わないレベルで、無理にしゃべらせ過ぎたなと、考察します。
ではでは、今週もキングダム本編を振り却って行きます。
キングダムネタバレ-ただただカン・サロがカッコイイ。。。
ぬは~~~!?
か、カン・サロさん。
私、もう何も言えませんわ。。
倉央の勇気に免じて、糸凌ともに、二人を無事に解放するカン・サロ。
自死を覚悟していただけに、完全に予想外に事態に驚く倉央と糸凌。
しかし―、
倉央『すまぬ、この借りは決して忘れぬぞ。』
カン・サロ『ああ、当然だ。』と、
あくまでも“借り”であることが強調されているだけに、今後、倉央が秦軍に復帰するとして、コレは先々で、何かの伏線になる可能性が非常に高いです。
で、そんな風に、“何か伏線”と見せかけておいて、一向に何も回収しないのが、我々の神(作者)様らしい癖でもあったりします。(笑)
また、今更、倉央が王翦軍に戻れるのか?
これも、一度、脱走同然に出て来てしまった彼と、王翦との信頼関係において、カナリの疑問符が付きますが、何もお咎め無しに軍に復帰出来たら、何の為に、糸凌を捕虜として描いて、倉央の脱退劇を描いたのか?
ここら辺が、テキトーにスルーされると、そもそも、“この話、倉央と糸凌の話は必要だったのか?”となりそうで、非常に心配です。
なんか、魏火龍編で、凱孟に河了貂が捕まった時の話と同じで、読者的には、後年、見返してみると『アレ、結局、何の為のエピソードやってん?』という箇所になってしまいそうな気もしてきます。
ま、とりあえず、そんな事は気にしないとしたら、カン・サロがカッコよかったので、それはそれでヨカッタです。
カン・サロの部下、ジ・アガの部下共はじめ、ワキ役たちのリアクションやら、細やかな顔芸も随所で味わい深いエピソードであった様に思いますわ。
キングダムネタバレ-バラバラの趙国
王翦軍撃退に喜ぶ邯鄲の住民たち。
その一方で―、
暗い王宮の中で、苦虫を嚙み潰したような顔で、悶々と過ごす一団が描かれます。
カクカイとその仲間たちです。
秦との戦が無くなれば、李牧さんが邯鄲朝廷に落ち着いてしまう。。
そうなれば、カクカイとその一派は全員更迭されて、官職すら失うのではないか?
今のうちに李牧を貶める手を何か打たねばならない!
そう決意を固めるカクカイですが…、
その様子を、一味の一人として、秦のスパイである姚賈が見つめています。
また―、
カクカイの心配が、より一層深まるように、邯鄲の民の様子を高みに見物しているのが現趙王の幽繆王です。
幽繆王『ハッハ、スゴイ人気だな李牧は。アレで強欲な男であれば少しは俺と話が合うのだがな。李牧に後処理を済ませて帰還せよと伝えよ。王直々に褒めて遣わす。』
なんと!
宜安戦での作戦会議や、李牧さんを武安君に封じた際でもそうですが、ここでも回を追うごとに、李牧対して、距離感を縮めていく幽繆王の発言が見て取れます。
前回の予想編で、考えました通り…、
これは、趙王様からの歩み寄りによって、李牧が趙王様から“変態プレイ”のお誘いを受け、“ホントの自分”に目覚めた李牧さんが、誘った趙王様が引くレベルの、スーパー変態仮面(参考:作者 あんど慶周 先生)に大覚醒を遂げる伏線となるかもしれません。
これは非常に楽しみです。
李牧さん『ハァハァ…、何でこんな所にパンティーが? ううッ!ガマン出来ない!』
スチャ…。
(カッ)突然、目を見開く李牧さん。
李牧さん『フオオオオオオオオオッ!!』
幽繆王『ど、どうしたんだ李牧!?(汗)』
こんどこそ、本当に僕の予想が当たるような気がしてきました。
さて、李牧さんご本人のいないトコロで、周囲が勝手に大騒ぎしている、状況なワケですが、当のご本人はどうされているのでしょう?
司馬尚の未だ、戦地からの撤収作業に取り組まれている様子です。
結局、一度、超本国の戦いに関わってしまったが為に、もう青歌として引き返しが利かぬ事を悟った司馬尚。
戦乱の外に、国を作ろうと、一度は画策した司馬尚ですが、『…それが束の間の平穏であった』と虚しく思うと吐露します。
しかし―、
この点、流石、李牧さんです。
司馬尚の感傷的な言葉に乗って、すかさずに、ヤレ『秦が中華統一を狙う限り安寧の地は無い。』だの、『秦の武力統一を肯定するのかい?』などと、単純な司馬尚に対して、未だに洗脳に洗脳を重ねつづける李牧さん。(笑)
司馬尚と青歌としては、単純に、秦趙戦争の不参加を秦に対して表明して、そのまま傘下に入れば、事なきを得ただけの話なのですが、こりゃあ、相当に司馬尚への洗脳が深刻なのが、容易に見て取れます。
そして―、李牧さんの、この台詞。。
李牧さん『平穏と戦争を繰り返すしかありませんよ。人間は。。』
いやいやいやいや??(笑)
お前が青果(青歌)を戦争に引きずり込んどいて、流石にそりゃねーだろ。(爆笑)
そして―、
完全に他人事のように、それを受け入れている司馬尚にも脱帽です。。
で—、
李牧さんとしては、そこから『せめて出来る事は、可能な限り、戦争を遠ざけ、平和の時を長く保つことです。』と仰っていただいています。
はい、別にこれ自体は、考え方としては正しいと思うんですがね。
例えば、印象深い例を挙げれば、『各々の世代の責任に於いて、戦争を遠ざけ続けた、連続的な結果として、事実上、限りなく永遠に近い平穏が手に入る。』と表現を変えるなら、銀河英雄伝説の主人公の一人である、ヤン・ウェンリーなんかも、非常に、似たような趣旨の話をしていたのを、思い出します。
しかし―、
それを同じような趣旨だと言って、李牧さんが語ったところで、説得力が伴うかというと、それは全く別です。
銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーであれば、彼は、もともと歴史研究家を目指していたという、キャラクター造形上の背景が在るが故に、その発言に責任と説得力が在ったワケなのですが、李牧さんには、そーゆーの全くないです。
やっぱりですね。。
純粋に、李牧みたいに、戦争という舞台で輝かしてもらっている立場の人間が、『戦争を繰り返すしかない。』とか言っても、そりゃ、流石に分を弁えていない…、自分を客観視出来てない人に、見えてしまうワケですよ。
なので、コレは、ホントに李牧をキャラクターとして大事に扱っていきたいなら、完全に、余計な一言だったんじゃないかと、残念ながら、しみじみと、どうしても、悪い意味で噛みしめてしまいます。
繰り返し、ヤン・ウェンリーを例にとって、考察を重ねてみると、ヤン・ウェンリーは、李牧の語るように、歴史の中で、平穏と戦争が繰り返されるとしても、“戦争を遠ざけ続ける努力”を極めて重く受け止めているのに対して…、
李牧さんは、“戦争を遠ざけ続ける努力“は一切しないクセに、『戦争が起こるのは仕方ない。』などと、戦争に巻き込んだ相手(司馬尚と青果)に云い放つこの神経って、もの凄く図太くないですかね?
しかし、いや…まァ…?
李牧さんに対して、批判だけでなく、フォローもさせていただきますと…、
流石に、李牧さんの神経が図太いと言いましても、昂クンのチンポの図太さと見比べてみれば、その重厚さも、数段見劣りして、シャーペンの芯ぐらいにしか感じなくなるかもしれませんが…。
ただ、李牧さんとしましては、今回の戦で秦軍に簡単には再起出来ない程のダメージを追わせるほども勝利を得た事と思っている事も事実です。。
司馬尚『秦は中華統一を諦めると思うか?』
尋ねて来た司馬尚に、
李牧さん『咸陽にいる秦王次第です。』と答える李牧さん。
いや?
司馬尚的には、“イエスかノーで回答可能な質問”をしてくれたのに、『秦王次第です。』って、それ全然、答えになってないやん。(笑)
『分かりません。』って遠回しに言うてるだけやし、司馬尚も、そこは突っ込んだらいのに。
- キングダムネタバレ最新799話 以上 ―
次回もこの先の展開について、キングダムネタバレ予想をすすめていきたいと思います。
皆さんの予想やコメントもいただけると嬉しいです。どうぞお気軽に。